『日記・花粉』(ノヴァーリス) 〜 【レクイエム】(フォーレ、指揮:ミッシェル・コルボ)

日記・花粉 (古典文庫 35)

日記・花粉 (古典文庫 35)


日記はいつも、思い出に変わるひととき前の出来事を人にとどめる。


はじめから他人に読まれることを前提としたものでもなかった。もっぱらは自分との対話が人に日記をつけさせた。打ち寄せることばを記録するはじめの姿がここにある。だからその人の細やかな心情がさしはさまれたり、いま考えつつあることが未熟のまま放りだされたりする。やがて文学としても日記文学がやってくるが、それは日記のスタイルを利用した文学であり、机の引出しにしまわれる日記とは違う。

いまは、ことばを記録することもたいそう簡単になった。ことばを記録するにはまず紙を手に入れ、インクを手に入れ、ペンを手に入れなければならなかった。いまでこそいつどこででも手に入れられようが、これだけのことにも汗をかかなければならなかった。

インターネットがこれだけ普及しいつどこででもインターネットにアクセスできるようになると、携帯電話から「日記」をアップロードし、日記サイトで公開してお互いに覗きあい、コメントをつけあいながらコミュニケーションできる。「日記」といっても人が見ることを前提とし、果てしのないお喋りのようなことばが蓄えられていく。

ウェブが利用されはじめられたころは、コミュニケーションは実感できなかった。はじめてホームページをつくるとき、何を書いてよいか迷いながらとりあえず自分の愛猫の写真や自分の趣味を書き、自分のメールアドレスを添えてアップロードする。だが五分たっても一時間たっても一日たっても一週間たっても世界は変わらない。まるで自分のページなどインターネットに存在しないかのように、インターネットは黙りこくっている。何か自分が取り残されているような孤独感が襲ってくる。ここにいったい何を書いたらよいのか。

携帯電話がインターネットと接続されてから、メールもずいぶんと変わった。PCなどからのメールであると、いつどこからでもメールが打てるわけではない。仕事の連絡などはそれで十分だった。ところが携帯電話からメールが打てるようになると、「いつどこからでもメール」が実現する。すると少し速度を落としたお喋りも実現してしまう。

インターネットが一般で利用されはじめたのが一九九五年ごろ。この十年間で社会のことばの様がたいそう変わっている。おそらくは社会・文化の持つ物語空間も変わっている。


そんな気持ちから、文学としてではない「日記」に一度目をとめておきたい。

四月二十三日(三三日)


きょうはゾフィーのことをいくども思った。朝は、なにもする気になれなかった―正午ごろ、ややましになった。午後はまた朝とおなじであった―気分がほんとうに明るくならなかった―いつもより感情にみちていたが。けれどもcon amore(愛情をもって)思い出を書いた。夕方ぼくがユスト一家に出した古い手紙を読ませてもらった。夜おそく、あかるい気分になった。しかし、からだの調子はすぐれなかった。けれども、きょうは総じて多くのよいことを思索した。朝、大尉(ゾフィーの養父ロッケンティーン大尉のこと)に手紙を書き、また、グリューニンゲンのカロリーネ(ゾフィーの姉)に誕生日のお祝いの手紙を書いた。

ノヴァーリスは、一七七二年、ドイツ連邦共和国に生れる。このときハプスブルク朝。本名はハインリヒ=フォン=ハルデルベルク、大学では主に法律を学び、シュレーゲルと親交を結ぶ。卒業後はフィヒテに向かう。ドイツ初期ロマン派の詩人として知られる。

一七九四年、ノヴァーリスは、十二歳の少女ゾフィーに出会う。翌年に婚約するが、一七九六年にゾフィーは永眠。上記のノヴァーリスの日記は、一七九六年に書かれたもの。(三三日)とあるのは、ゾフィーの死後の日々のカウント。

五月五日(四八日)


夜、ゾフィーの姿が、いきいきと眼の前にあらわれた―ぼくとならんで長椅子にかけているプロフィール―みどりのえり巻きをしている。―いろんな特徴的な場景における、さまざまな服装をしたかの女の姿が、思いのままにこころに浮んでくる。夕方ずっとほんとうにこころからかの女のことを思った。きょうは、すべてのことに満足してよいだけのことがあった。神は、これまで愛情ぶかくぼくを導いてくださった―これからもきっとそうしてくださるであろう。

このころゲーテの『ヴィルヘルム・マイスター』を丹念に読み、やがてそれと対をなすように『青い花』が書かれることとなる。

五月十四・十五日(五七・五八日)


夜、みなは早く床についた。ぼくは、なおマンデルスロー夫人とふたりきりで、ゾフィーのこと、ぼく自身のことを話しあった。この二日間、例の決心(自殺)のことがしばしば口の出た。母や父のことや方法如何の問題が、まだ悩みの種である。ゾフィーのことはしばしば思った。しかしあいかわらず軽はずみな考えがぬぐいきれない。

「決心」のことはすでに四月十九日(三二日)の日記に出てきていた。

五月十七・十八日(六〇・六一日)


ぼくは、ますますかの女のために生きなければならぬ―ぼくは、かの女のためにのみ存在しているのだ―自分のためでも、ほかのだれかのためでもない。あらゆる瞬間にかの女に値しているような生き方をしてみたい。―ぼくの一番の課題は―一切をかの女のイデーに関係させることでなければならぬ。

人間は、死後には自分の現存在への思い出によって理念(イデー)のなかにのみ生きつづけ、作用しつづけるものである。いまのところ、この世における例の活動手段は、これよりほかにはない。それゆえ、死者を思うことは生者の義務である。(『花粉』)

それでもノヴァーリスは「決心」を実行しなかった。だが一八〇一年に肺疾患で永眠する。二十九歳であった。こんなノヴァーリスの姿が宮沢賢治と重なる。このゾフィーの霊と結びついた世界がどこまでも透明なことばに結晶し、『青い花』になる。『青い花』はノヴァーリスの死によって未完に終ったが、ノヴァーリスはこの一書のために生ききったといってもよい。『青い花』を生む種がこの一七九六年の日記にある。

こんな「ことば」を日記は運んでくれる。


いま、インターネットのなかで生れつつあることばが、これからどのような世界を結んでいくかはまだ見当には早いだろうが、生の断片として飛びかうことばに編集的空間・器が必要になることは間違いないだろう。


さて、ノヴァーリスにはフォーレの【レクイエム】(ミッシェル・コルボ指揮)を捧げたい。透明になって昇っていくノヴァーリスを包みこむような一刻を。


そしてとびきりの一言を。

すべての愛する対象は、それぞれ天国の中心点である。(『花粉』)