『「書」で解く日本文化』(石川九楊) 〜 【BTTB】(坂本龍一)

「書」で解く日本文化

「書」で解く日本文化


日本の中世の秋は東アジアに彩られていた。


「公家vs武家」というおきまりの構図で見てしまうと、どこか日本が無明の闇のなかに隔絶されてゆらめいているように見えてしまうが、そんなことはない。僧たちを中心に大陸へ出掛け、最先端の知識や技術を日本にもたらしたり、元冠など「外敵」の襲来に備えてもいた。日本ばかりでなく、大陸も北方民族の活動が活発化するなかで揺れ動き、大陸の僧たちも日本に渡り安住の地を求めたりもした。蘭渓道隆、無学祖元、一山一寧はみな大陸から日本に亡命した。大陸では西夏文字女真文字など、様々な文字が作られた時代でもある。

そんな日本の中世をみたとき、公家と武家だけでは事足らない。外交をどのようにしたらよいのか、最先端の技術をどのように獲得し伝えたらよいのか、宗教・文化をどのように運んだらよいのか。公家も武家も東アジア圏の日本の「機構」としてとらえると、なんともこころもとなかった。

社会の構造としては、網野善彦がすくいだして見せた『無縁・公界・楽』が骨格を形成し、公家と武家では事足りぬ動向を巻きこむこととなる。これらの仕組みが準備されていなければ、経済だって文化だって破綻に向かっておかしくなかった。編集の動向はいつも淵にこそ屹立する。中世の日本のまんなかは薄い穴、エッジが沸騰的に踊り狂った時代だったのである。


もうひとつ、加えておきたいものがある。

いまだ多くの人の認めるところとなってはいませんが、臨済宗を中心とした禅宗はあくまで政治的な、文官政治機構であったという視点が、書史を考える上でも、日本の文化史を探るうえでも必要な観点であると私は考えています。

そう、禅林である。禅林こそが無縁・公界・楽を融通し、社会的機構として働いていた。経典の翻訳から外交、土木技術などの先端技術の指導から、能などの芸能から茶の湯に花、枯山水の庭から書画、平仮名の発明から日記文学まで。あらゆる場面に禅林が関わっている。だが禅林は公的機関などではなく、ときには無縁として、ときには公界として、ときには楽として振る舞った。日本文化の洗練は、まさに禅林でしたためられていた。

余談ではあるが、こんな背景があったからこそ、利休も茶の湯でもあり、政治でもあることができた。そしてそれをもはや抑えられぬほどに育ってしまうと、自刃を選ばざるをえなくなったのかも知れない。利休の洗練は冷たい洗練だった。すべてを一瞬で切り取ってしまう洗練だった。誰もが、利休の手のなかで一輪の朝顔になってしまうことを怖れた。おそらくは利休が一番よく知っていたはずだった。

平安末期から鎌倉初期にかけて、少しずつ文字が宮廷を出て、武士、あるいは集落の長たちに伝わっていきます。それは仮名文字であったからです。もう一つ、書の側、言葉の側からみれば、文字の普及運動としての法然の浄土宗、親鸞浄土真宗、あるいは日蓮法華宗の大衆への布教などによって漢語が民衆のもとに届けられたことが考えられます。

いまでこそ日本はもっとグローバル戦略をとらねばならないというが、禅林においてもいつも<世界>の動向を胸に動いていた。禅林がはじめてではない。縄文の風も天平の空も<世界>の気配に満ちていた。そんな<世界>を見事に編集し、日本らしさにまで結晶させる。それが日本の方法だった。ともすれば日本らしさが鼻についてしまうあたり、日本の抱く<世界>が見えにくく、バッシングの対象にさえなってしまう。それほどまでに日本であった。

仏教典を中心とするところの漢文を、国家を挙げて学習し、漢文・漢語に通じた識字層(学者と言ってもいいでしょう)が大量に輩出し、それを背景に中国文の語彙や文体、史書や詩集をモデルにそれらを倣ねて『古事記』『日本書紀』や『万葉集』が逆に作られていった事実を読みとることは容易でしょう。

漢文を訓読みすることで漢文のまま日本語として読み下せるようにしたり、漢語の文体の香気を漂わせる日本語の文体をつくり、さらに漢字を省略化し仮名文字をつくることで誰もがテキストを読めるようにする。そしてそれを総じて「日本語」としてまとめあげる。形でも音でも世界をなぞってしまう、恐るべき編集術である。この禅林の編集感覚については松岡正剛『山水思想』をあわせて読まれるとよい。


さらに明治にも同じ事態が起こっている。

明治という時代の幕開けは、食べ物も衣装も建物も「西洋」をまとわねばならなかった。これまで「縦書き・右から」が基本だった標記に、「横書き・左から」が加わった。外国より注目された日本の煙草や燐寸のデザインにも、ぎこちない横書きを利用し、それが逆に東洋のエキゾチズムを発揮することとなった。燐寸はそのラベルこそが商品を語った。だからこそデザインが重要だった。この小さな空間に日本の布置感覚がいかんなく発揮された。吉祥文様や故事などがたくみに織り込まれる。これが日本の近代「デザイン」の幕開けともなる。燐寸商標第一号は、明治十八年六月二十日登録、瀧川辯三による清燧社の「寝獅子」だった。

建築は燐寸ほど簡単ではなかった。高く、頑丈な石造りの建物を建てるための技術が不足していた。煉瓦でさえ満足に焼くことは出来なかった。そこには英国人ウォートルスなど、どこからかやってきた風来のおかかえ技師が飛び回った。大火の後の銀座煉瓦街はウォートルスが構想した。だがこの多くの風来の技師たちは、禅林の無名の僧のように素性もあきらかでない者が多い。日本はそんな風来の者たちまでをも巻きこんで、日本らしさを作っていく。この明治の日本の事情については榧野八束『近代日本語のデザイン文化史』がよい。また都市計画の模様については藤森照信『明治の東京計画』がよい。明治という時代も日本の淵が沸騰していた。

最近ではラップ・ミュージックに瞠目したい。およそビートに乗りにくい日本語を微妙に発音を変え、外国語を巧みに忍ばせながら、いまでは見事なまでの「日本語ラップ」に仕立てられている。どこか浄瑠璃を思わせるノリの良さがある。これから百年もすると日本語の発音はより音楽的になるかも知れない。「チョー」など母音を強調する造語・発音も増えている。いま、メールで使われる言葉を見ていると、また新しい仮名化が起きつつあるのを感じる。


インターネットは世界をグローバル化する、という。たしかに海や山脈に隔てられることもなく世界の「ここ」と「そこ」がいきなり連絡される。国の境、文化の境を意識することもなく、そのまま繋がってしまう。インターネットには中心がない。すべての点が沸騰する淵である。

グローバル化とは、英語で文化を爆撃することではない。多種で多様な<世界>の文化を一途に編集して見せることである。


沸騰する淵には、坂本龍一の【BTTB】を贈りたい。坂本龍一もこのアルバムあたりから仮名化を起こしている。彼自身が使う言葉も優しくなったし、メロディもシンプルな構造のまま持ちだされるようになった。だから日本の編集より編集の日本に注目しておきたい。


日本はいま仮名の夢を見ている。