『地球と存在の哲学』(オギュスタン・ベルク) 〜 【ボレロ】(ラベル、指揮:アンドレ・クリュイタンス)

地球と存在の哲学―環境倫理を越えて (ちくま新書)

地球と存在の哲学―環境倫理を越えて (ちくま新書)


地球がすすり泣く、とラフォルグは言った。


これほどまでに「地球」を自分の隣においてみせた言葉を知らない。いまでは人工衛星や月面から見た地球の写真、エイリアンに侵略されるスクリーンの地球など、あまりに地球の姿を見慣れている。自分の肉眼で地球の姿を目撃したことのある人はごく限られているはずだけれど、地球の姿はすでにありふれてしまっている。

「地球」は越境することのできない尺度のはずだった。だが、地球の外へ眼を持っていくことで、その境界もやすやすと突破してしまった。車窓から眺める風景と同じように地球を眺めることができるようになってしまった。奇妙なる風景が生れた。

近代になって「哲学」も尺度が消失してしまった。物理科学的に世界を理解することと、自分で世界を捉えることのあいだにいったいどれだけの差があるのか。世界はモナドで出来ているはずではなかったのか。なぜ紐が震えていなければならないのか。地球こそすべての世界ではなかったのか。

世界を説明し支配しようと努力を重ねる近代は、実のところ、「なぜ」から「いかに」への置き換えをはかる壮大な転換のプロセスに他ならなかった。近代はそれまでのいかなる文明にもまして、事物がいかに機能するか、事物をより効率的に操作するにはどうすればいいかということを私たちに教えてきた。同時に近代は、何かをする理由よりはその仕方に気を使う方向へと、人間を導いてきた。その点において近代は、倫理を根絶やしにする壮大なプロセスでもあった。ゲーテニュートンに対して行った非難の意味は、おそらくそのあたりにあるのだろう。すなわち、謎の解決に満足してしまい、その理由を求めようとはしないことである。

対象として世界を捉えようとした途端、世界は冷たく笑う。世界の逆襲である。しまった、と思ったハイデガーは人と世界を連絡し、存在学として世界に織りこまれた人というものを構想する。だが和辻哲郎はそれでは満足できなかった。空想のなかの空間でなく、いま生きている空間、風土のなかに錨を下ろそうとした。人はいま投げ出されている風土を越えて生きることはできない。

鈴木秀夫は、風土と文化・宗教に関係を発見する。そして『超越者と風土』を著し、砂漠型の風土と森林型の風土のなかで生きるひとのグランド・デザインを見せ、中尾佐助照葉樹林帯に流れる文化を発見した。

ベルクは、ハイデガーから和辻哲郎へ、そしてさらにそこに『風土としての地球』を見て、近代の捩れた世界像(世界観)に決着をつけようとした。『風土としての地球』では、「風土(エクメーネ)」と「地球」を等号で結ぶのが精一杯だった。地球が風土であっても、なぜ風土が地球であるのかはわからなかった。

そしてこの本、『地球と存在の哲学』が彼の転機となる。

しかしながらこの現実はひとつのものでも、ものの集合でもない。エクメーネは同時に地球であり人類なのである。けれどもそれは地球プラス人類でも、また人類プラス地球でもない。人類に住まわれるものとしての地球であり、そして地球に住むものとしての人類である。

アストロ・バイオロジーは、バイオロジーの出発点を人にしない。だから線形の進化論の夢を追わず、システムとしての生物の推移を見る。アストロ・バイオロジーでは、このエクメーネに相当する尺度を「人間圏」と呼ぶ。この尺度を見据えることで、世界と人の関わりを勘定し、対象としての環境論に拘泥せずに倫理を保とうとする。

尺度というのは単なる思考のための道具ではなく、世界のなかに住まうためのインターフェースである。だからハイデガーから和辻哲郎へ、そして「地球」という永遠の尺度にこそ向かった。ティヤール・ド・シャルダンだってミンコフスキーだって、みなこの尺度を大事にしようとした。だがこの尺度を大事にすればするほど、近代という薄い器のなかでは「神秘主義的」「カウンター・カルチャー的」「前近代的」に扱われたものだった。


そろそろ「地球」という言葉をラフォルグのようにさらりと語るころあいだろう。ながらく置き去りにしてしまったコンパスを手に物語を綴るべきなのである。そろそろ幼年期とはオサラバしたい。


さて、すすり泣く地球にはラベルの【ボレロ】(指揮:アンドレ・クリュイタンス)を。ラベルの【ボレロ】もストラヴィンスキーの【春の祭典】も、地球の果てしのない踊りである。そんな鼓動をふたりの作曲家はたしかに聴いていた。


たまには、地球の回転にあわせて散歩はいかが?