『グローバル・ブレインにリンクする日』(R.U.シリアス) 〜 【Motherless Child】(リッチー・ヘヴンス)

グローバル・ブレインにリンクする日

グローバル・ブレインにリンクする日

  • 作者: R.U.シリアス,R.U. Sirius,サトウリツコ,南宮浩基
  • 出版社/メーカー: インターナショナルトムソンパブリッシングジャパン
  • 発売日: 1996/06
  • メディア: 単行本
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ウォーホルは俗物の天才だった。


誰もがウォーホルを目指したが、誰もウォーホルには及ばなかった。あまりにもありふれている所為か、ウォーホルらしさが捉えきれなかった。ウォーホルに対峙すると、禅問答の只中に放りだされた僧のようになってしまう。これは只事ではない。ウォーホルには固着する思想はなかった。いつも自由に考え、自由に振る舞い、誰とでもつきあった。ウォーホルの前には右も左もなかった。だからウォーホルは天才になれた。誰もが思わずはいりこんでしまうウォーホルという場所そのものだった。

一九六九年八月十五日から三日間、ウッドストックで前代未聞のロック・フェスティバルが開かれる。のべ四十万人が集まり、「若者」の文化を強烈に表現した。オープニングはギター一本のリッチー・ヘヴンスの【Motherless Child】、強烈なゴスペルがファンファーレのように飛ぶ。他に、ジャニス・ジョップリンザ・フージミ・ヘンドリックスジョー・コッカーテン・イヤーズ・アフタージョニー・ウィンター、ジェファーソン・エアプレイン、CSN&Yなど若者の神様たちが一堂に介してロックを奏でた。

ヒッピー、フラワー・チルドレンをはじめとするカウンター・カルチャーが、ポップでサイケデリックなアートとむすびつきながら噴出した日であった。もちろんこのときはまだCDもMTVもインターネットもない。彼らを結んでいたのはラジオとファッションとコンサートとドラッグだった。

翌一九七十年の八月には、今度は英国のワイト島でロック・フェスティバルが四日間にわたって開かれる。四日間でのべ六十万人。先年の米国に対する英国という向きもあるが、この一年間でロックが音楽として商業的に動き出していた。ビートルズだけでなく、様々なロックがカウンター・カルチャーとともに商業になっていた。また、ワイト島フェスティバルでは、「エレクトリック・マイルス」と呼ばれる時代のマイルス・デイヴィスがフル・メンバーを従えて伝説のコンサートを行った。このなかにはエレクトリック・オルガンを弾くキース・ジャレットもいる。

フラワー・チルドレンは、環境や自然、体制、アートに敏感だった。彼らの神様のなかにはロック・スターにまじってバックミンスター・フラーアンディ・ウォーホルがいた。やがてこの文化の動向が『ホールアース・カタログ』を生み、ハッカーとよばれるこどもたちがインターネットを建設していく。


R.U.シリアスは、そんな文化の文脈のなかを生きている。一九九十年に、彼は『MONDO2000』というカウンター・カルチャーの前衛誌を出版する。あまりに鮮やかに文化の淵から事態・動向を編集してみせた。二十世紀のなかで是非あげておきたい雑誌のひとつである。

アンディ・ウォーホルはメディアだった。彼はありふれたものに自分の名前をスタンプしてまわり、優雅に情報娯楽時代の文化のすべてを掌握した。アンディは子どもがおもちゃで遊ぶようにメディアと遊んだ。無邪気な遊びを。

シリアスのこどもっぽく尖ったことばが、ウォーホルについて語るときは別人になる。それほどまでに向きあっている。これが文化の淵の態度である。


インターネットは中心のない庭である。シリアスはそんなインターネットのなかの文化の動向を見据える。

問題となる部分が、全体の一部であり、かつ再構築されたものが独自の作品と認められる場合限りは、エンターテインメント産業はしばらくの間流用を許可することによって、アートの進化に対して寛容に接するべきだろう。この小さな一歩は、ハッカーの論理、「情報は自由になりたがっている」ことに気付くことから始まっていくに違いない。

シリアスのなかには、サンプリング・ミュージックとコピーレフトとウォーホルがある。こんな一途さが文化には必要だ。

【WIRED】にウッドストックは似合わない。カウンター・カルチャーの現場ではなく、カウンター・カルチャーの風をパッケージ化して衛生的に家庭まで届けているようだ。デュシャンよりウォーホル、レイモンドよりストールマンマクルーハンよりネグロポンティ、ラインゴールドよりシリアス、もちろん【WIRED】より【MONDO2000】だ。インターネットの情報をめぐるナイーブなアナキズムをこそ発揮したい。


インターネットはいま「インターネットとは何であるか」の学習期間を終わり、いよいよデジタルの世界を建設する時期にさしかかっている。だから実現のための技術以上に、文化が踊りだすのがよい。時にカウンター・カルチャーは禅林の呟きになる。

R.U.シリアスは、そんなデジタルの世界を「グローバル・ブレイン」になぞらえる。いささか短絡的にはすぎるが、おそらくは二十一世紀のウォーホルたちが共通に抱いている夢想であるのだろう。


やはり、二十一世紀のウォーホルたちには【ウッドストック】からリッチー・ヘヴンスの【Motherless Child】を。そろそろ人の母型を探す旅に出掛けたい。

R.U.シリアスは、人の感覚を延長して世界に連なる技術にバーチャル・リアリティ(VR)を見ているが、ぼくは「ことば」を見る。デジタルという世界は電気と電子に遊んでいるが、そのはじまりは世界を切り取り、世界をシンコペーションしていく「ことば」にほかならない。インターネットはことばの鏡である。


電気羊が夢を見るのは「ことば」を持ったときだろう。