『さかさまの幽霊』(服部幸雄) 〜 【ザ・ベスト・オヴ・サティ】(高橋アキ)


幽霊は異界への入り口である。


そこで幽霊は異界のしるしをもっている。たとえば死装束を身につけていたり、頭に三角巾を添えておいたり、足もないのに浮かんで移動してみせたり、鬼の形相が重ねられたり、手を前にたらす所作をしてみたりと実に様々である。

このようなしるしのなかで一際眼をひくのが「さかさま」である。歌舞伎の「東海道四谷怪談」ではお岩の亡霊が「提灯抜け」という演出で登場する。

お岩役者は「漏斗」(俗に「朝顔」とも)と呼ぶ衣装を着て足を隠し、道具の後方に拵えた「箸箱」に俯きの形で臥し、提灯がパッと燃えるのにタイミングを合わせてそのまま道具の前方へ押し出され、破れた提灯の中から醜悪な顔と手を出す。

その時、下から撞木が上がってくるので、これに両手をかけると、そのまま撞木は下に下がるから、お岩は頭を下にして、逆さの形で出現するのである。その出現のさまそれ自体の意味するところについて、従来注目した人はなかったが、これはいささか考えてみる価値のある、おもしろい問題を含んでいるように、私には思われる。

歌舞伎はその場でのスペクタルの要素が強く、このような「けれん」が準備される。だがこのさかさまの幽霊の登場は、けして人の意表を突く奇をてらったものではなかった。歌舞伎の出し物にとどまらず、「大職冠二度珠取」「けいせい反魂香」「西鶴織留」など、さかさまの幽霊が登場するものがあまりに多い。さかさまにはさかさまの意味がある。

歌舞伎のこのパターンにあるのは、「悋気事(嫉妬事)」「怨霊事」「軽業事」である。四谷怪談は文政八年七月二十六日に江戸の中村座で初演される。「仮名手本忠臣蔵」との抱き合わせ公演だった。お岩役は三代目尾上菊五郎の当り役だった。お岩の夫の民谷伊右衛門忠臣蔵の浅野家の浪人)は、師直(もろなお,吉良上野介)方の伊藤喜兵衛の孫娘お梅に恋されて婿になることを願い、お岩を虐待する。お岩は伊藤喜兵衛に毒を盛られ、顔を崩され夫の裏切りを恨みながら憤死する。伊右衛門は出世を条件にお梅を妻とし、下男の小仏小平を殺しお岩の間男に仕立て上げ、戸板の裏表にくくりつけ川に流す。伊右衛門は、二人の亡霊にさいなまれ、半狂乱になった挙句お梅と喜兵衛を切り殺し、佐藤与茂七に切り殺される。ふたつの物語が繰りこみあう複雑なる快挙一番である。

さて、まずこのお岩の悋気事があり、それが怨霊事となり、そして「さかさま」の軽業事となって出現する。「さかさま」は、もはやそれだけで尋常ならざることである。男と女が入れ替わる、心が入れ替わる、天地が入れ替わる、どれをとっても只事ではない。だから尋常ならざる幽霊も「さかさま」になって歩いてくる。「西鶴織留」にいたっては部屋がまるごと「さかさま」になっている。


「さかさま」は異界への道行きの型である。それが昂じて「まっさかさま」になると奈落にまで落ちゆくことになる。こんな「さかさま」がかつては息づいていたわけだ。ここには世界をそのままひっくり返して見るだけの器量がある。恐怖も喜びや慈しみのさかさまの世界だったのである。ただ怖いだけではなく、そのさかさまの世界もいつも一組で成立していた。それこそが世界だった。


さて「さかさまの幽霊」にはさかさまの音楽を。サティの音楽を聴いていると、そこで歌われないもうひとつの旋律がいつも同時に聴こえてくる。けして演奏はされないのだが、こころのなかではたしかに鳴っているのである。だからサティを聴いてしまうと、なにかを口ずさまなくてはいられなくなる。


冬の怪談話、これもさかさまでしたっけ。