『山猫理髪店』(別役実) 〜 【私は月には行かないだろう】(小室等)

山猫理髪店―別役実童話集

山猫理髪店―別役実童話集


ことばのなかに思わず空間を感じてしまう。


他愛のないことばのひとつひとつが連なっていくと、お洒落なバーで佇む老人を思い浮かべたり、荒れ狂う海のなかで帆船のマストにしがみついている船員を思い浮かべたりもする。実際に目撃しているわけではないのだが、そこに空間まるごと、光景がひろがる。

ことばは、こんな空間を生みだすためのハンドルになる。

広い原っぱの真中に、今にも風に吹きとばされそうな灰色の建物があって、それが<アンドロメダ活版印刷所>でした。かたわらを流れる小川のほとりに、大きな泥柳の木が一本立っているだけで、あとは見わたすかぎりのすすきです。

遠く街から眺めると、月の夜など建物だけが青白く光って、それはまるで木の下にたたずむ淋しい幽霊のように見えました。(『アンドロメダ活版印刷所』)

これだけで光景がひろがってくる。別役実が生みだす空間は、感情を殺ぎ落とした抒情が静かに転がる。まるでキリコが歌いだしてるようだ。そして飛行船が登場する。

<アンドロメダ活版印刷所>では、月のない真夜中、イーハトーブの街から飛んできた小さな白い飛行船によって注文を受け、仕上がるとまたその飛行船でイーハトーブに送り届けられていたのですが、街の人々は誰も、そのことを知らないのでした。

「街」「飛行船」は別役実のアイコンになる。他には「電信柱」「コウモリ傘」「サーカス」あたり。別役実の空間の道具立てが揃う。【街と飛行船】はフォークソングがお祭りさわぎだったころ、小室等が歌ってた。【雨が空から降れば】も別役実小室等の作品。

白鳥座M16の悲しみは、

直角三角形ABCの、

頂点Aを通り、

アインシュタイン的ゆがみを修正しながら、

底辺BCを真二つに割る……。

これがアンドロメダ活版印刷所で印刷している詩篇。なぜこのようなものを印刷しているのか、なぜ誰も読んでいないのか、印刷所の人にはわからない。詩が新しすぎるから誰も読んでいないのか、それとも革命軍の暗号文書なのか。この「仕掛け」がさらに空間をひろげていく。この謎解きはぜひ本を読んでいただきたい。


やはり、別役実には小室等の【私は月には行かないだろう】を。日本がまだ成長に沸いていた時代、静かに時代を見つめていたアルバム。ただ、そのままであった。


ことばはいつも冒険したい。