『自然の中に隠された数学』(イアン・スチュアート) 〜 【インファンシア】(エグベルト・ジスモンチ)

自然の中に隠された数学 (サイエンス・マスターズ)

自然の中に隠された数学 (サイエンス・マスターズ)


世界はいつだって美しい。人が見るたび美しい。


人は世界の美しさの秘密を覗こうとする。美しいものと美しくないと感ぜられるもののあいだには、なにか秘密があるはずだ。たとえば法則を見る。

花の花弁の数には、じつに奇妙なパターンが存在する。ほぼすべての花について、花弁の数は3、5、8、13、21、34、55、89という奇妙な数列のいずれかの数の一つだ。たとえば、ユリの花弁のは三枚、キンポウゲは五枚、多くのヒエンソウは八枚、マリゴールドは十三枚、アスターは二一枚、ほとんどのデイジーは三四枚か五五枚、もしくは八九枚である。このような数字は、ほかにはあまり見あたらない。これらの数字には明確なパターンが存在するが、少し頭をひねらなければそのパターンはわからないだろう―いずれの数字も、その前の二つの数字を足した答えになっているのだ。

これはフィボナッチ数列再帰的プログラミングの例題としてもよく使われる。だが、この数列は、人がこころのなかで描いただけでなく、自然のなかに存在している。もちろん「数」は人の発明であるのだが、この「数」で世界を覗くと世界の不思議な姿が見えてくる。

数は数だけであるのではない。数えられるためには、物・事をわけて考えなければならない。そしてわけられた物・事の同じ物・事、異なる物・事をわけなければならない。さらにそれらを並べて数える準備が整う。抽象することで物・事の背後に隠されている何ものかが見えてくる。この何ものかを発見し、表現する。発見はいつも美しい。だから数学者の顔は詩人に似ている。

また、世界を支配しているかのような定数もある。ハッブル定数、光の速度、円周率、黄金数、プランク定数アボガドロ定数ボルツマン定数オイラーの定数、ファイゲンバウム数等々。世界は定数に満ちている。世界は数で出来ているのだろうか。

数を数えはじめると、いったいいつまで数えるのか、いくつまで数があるのかという問題にぶつかる。

一口に無限と言いますが、実際問題として私達は常に有限しか体験することができない。夜空に輝く星の数を人は無数であると言う。しかし、ある天文学者に聞いたところによると、肉眼で見える星の数は高々3000程度に過ぎないのだそうです。だから無数でも無限でも何でもない。これはつまらぬ一例ですが、このように我々が感覚的に経験できるものはいつも有限の世界だけであります。従つて無限といつても、それは一つの状態として―幾らでも大きくなる、限りなく大きくなる、といった一つの状態として理解していたのであります。しかし真の無限は人間の精神のなかにはあります。たとえば自然数全体を考える。これは本当の無限である。カントールは無限そのものを、状態としてではなく、出来上つたものとして取扱つたのです。これは何でもないことのようですが、実は非常に型破りの考へ方でとてもおそろしいことなのです。(『数学の自由性』高木貞治

カントールは無限集合を通じて数学的自由意志にむかう。無限の実在性から世界を紐解いた。ここに数学的自由精神がある。そして世界はますます美しく磨かれていく。


数学は証明が物語を編む。物語の進み方は一通りとは限らない。さまざまな道が世界には準備されている。たとえばこんな問題がある。「SHIP/DOCK定理」と呼ばれるもの。

ある単語(SHIP)を別の単語(DOCK)に変えていくのだが、一度に一文字ずつ変え、いずれも略語や造語でなく、ちゃんと使えるふつうの言葉をつくらねばならない。(…中略…)

ここに一つの解をあげる。


SHIP

SLIP

SLOP

SLOT

SOOT

LOOT

LOOK

LOCK

DOCK


ほかにも多くの解があり、単語数がもっと少ないものもあるだろう。しかし何通りか試してみれば、結局、すべての解に一つの共通項があることに気づくだろう。あいだをつなぐ単語の少なくとも一つには母音が二つあるということだ。

じつは、この問題のなかに「はっきり」と書かれていない法則がある。それは「英単語は必ず母音を含む」ということである。「ちゃんと使えるふつうの言葉」には必ず母音が入っている。これで準備は万端。さっそく問題を解いていただきたい。なに、解き方はご自由に。右回りの道も左回りの道もある。

O−大丈夫だよ。そりゃ、滅茶苦茶に順序を変えるなら、別だがね! あのそれ、幾何学ニ御成リ道(royal road)ハ御座リマセヌという話があるね。あれは唯一筋の細い細い小ミチしかなかった時代のことさ。例の橋は未だ架からずね。所が今では、君―

N−又ドライブ・ウエイですか?

O−覚えがいいな! そのドライブ・ウエイにも、トラック道路、遊覧道路、等々、デモ様御成り道が幾筋も出来ている。ウバ車専用というのもある、例の少年読本の為にね。勿論、燕にも、鴎にも乗ってよい! だからガイドは―なに、誘導のことだが―道さえ取り違えないように気を付けていれば、大丈夫なんだ。(『Newton. Euclid. 幾何読本』高木貞治

詩人だって数学を語りたい。

円や三角が、自然に在るのではなく、その証明の段階に於いて思惟として成立する混沌からの分離的認識に外ならない。況や作家は、われわれの頭上をめぐる天体とは違った、内部の星座を持つものでなければならない。(『龍を描く』吉田一穂)


イアン・スチュアートの数学の語りは格別だ。高木貞治岡潔も格別だ。数学者のこんな語りをこそ愉しみたい。


さて、美しき天体を奏でるイアン・スチュアートにはエグベルト・ジスモンチの【インファンシア】を。無限のギターの天体が地上をすっぽりつつむ。


数に溺れて、数に夢見る。