『龍の棲む日本』(黒田日出男) 〜 【危機】(イエス)

龍の棲む日本 (岩波新書)

龍の棲む日本 (岩波新書)


日本は龍穴の隙間に結ばれている。


ふと見るだけであちらこちらから龍が姿をあらわす。

ヤマタノオロチはおそらく大陸の記憶を持っている。渡来人のもたらした「たたら製鉄」などの先端技術の力とともに火と剣と畏怖すべきカミを生みだした。やがてそれが天を司る牝の龍と、地を司る牡の龍にわかれ、雷と雨をもって人に豊穣と恐怖をもたらした。先だって出雲横田たたら製鉄の操業を見学する機会があったが、たたら場のなかはふいごの音と天にたち昇る炎と熱と窯の鳴る音が織りなされ、まるで巨大な生き物の腹のなかに放りこまれたような気がした。

端午の節句には鯉幟をあげる。鯉は水のなかにいながら長い髭を持ち、龍と重ね合わせられた。そして鯉を龍に見立てて空を泳がせ節句を祝う。鱗と髭と眼に特徴がある。

山のふもとに住んでいたイクタマヨリのもとへ、あるときたぐいまれな美と威厳をそなえた男がやってくる。夜毎にやってきて棲むあいだに身ごもり、それをあやしんだ父母は名も知らぬその男の正体をみきわめようと、娘に寝床で男の衣の裾にに糸巻きの麻糸を通した針を刺すよう教える。朝になってみると、その糸は鍵穴を通って外に続き、そのあとをたどるとミワ山のカミの社に続いていた。そこで身ごもった子はカミの子であることをしる。そして残った糸巻きには麻糸が三勾(みわ=三巻き)残っていたのでこの地をミワという。このカミはオホモノヌシであり、三輪山はとぐろを巻く龍に見立てられる。もちろん三輪そうめんは、この麻糸の姿が重なっている。

大陸からやってきた風水は、地の龍穴と龍脈を見立て、地の相を最大にひきだし操る術を得ようとする。日本の津々浦々にあいている洞窟、底なしの池・沼は龍穴に見立てられ、それぞれが置くで連なっているとされた。

また、獅子舞にもおそらくは龍が入りこんでいる。岐阜県不破郡垂井町の南宮神社には「龍子舞」が伝えられる。獅子舞で太鼓やササラが欠かせないのも雷鳴がかかわっているのかも知れない。また牡鹿の長い角も龍の角(牡)に見立てられる。

出雲大社の御心柱は龍が巻きついて守っているとされる。

また龍や鯰は地震を引きおこすと考えられ、それを封じるために要石を据えた。

日本の龍は中国の龍とは異なる。大陸から原型がもたらされたのだろうが、そこに日本の風土、自然信仰、物語が組みあわさり日本に棲みつく龍が形作られていく。この龍のイメージが形成されていく様を覗くと、日本という風土・文化の編集のプロセスが見えてくる。
中国の龍については中野美代子の『龍の住むランドスケープ』がよい。

龍ばかりではない。仏教も西洋も日本の編集装置をくぐりぬけ、日本のカタチに昇華している。禅という方法も、背広も民主主義も、編集され日本に棲みついた。日本はそんな編集国家であったのである。


金沢文庫に、行基式日本図が残っている。残念ながら西半分しか現存していないが、日本の国土を鱗をもった生き物が囲んでいる。

行基菩薩記』なる書が中世には作られており、そこには、行基菩薩が<日本>を遍歴して田畠の開墾を成し遂げたこと、そうした行基菩薩の<日本>遍歴によって国境が定められたこと、その結果としてできあがった<日本国>を、行基菩薩が図化したところ、その<かたち>は独鈷の形をしていたことが語られているのである。

これが行基式日本図と呼ばれる日本図である。地図と呼ぶよりは日本そのものの認識をしめした図である。「独鈷」というのは密教の法具であり、日本の聖なる形をしめすものであった。

伊能忠敬は、五十歳で隠居して天文学を学び、五十六歳で思い立ち、以来十七年間足で歩いて測量をし、日本地図を作成する。はじめに歩いたのは深川から浅草までの近所だった。人工衛星から撮られた国土を知っている眼で見ても、この地図の正確さには驚かされる。すると、行基式日本図のような測量で描かれていなかった時代の地図は、まだ稚拙なものに見えてしまうかも知れないが、実はそこに「国土」とはどういうものであるかという思考の骨組みがそのまま表されている。それが肝心である。

金沢文庫行基式日本図が描かれたのは、元寇の後、外からの力による進入に対する国防意識がたかまったころである。そして日本の国土を守るように、龍がすっぽりと国土を囲んでいる。そんな空間のなかに日本が生きていた。


編集国家であることはいまも変わらない。正月には初詣、おせち料理を食べ、バレンタインデーにワクワクし、ひな祭り、お盆に墓参りをし、打ち上げ花火に興じ、冬にはクリスマス。こんな年中行事を仕立てながら、日本という形をつくっている。龍だっていまだにそこかしこに隠れている。

だが、そっとしのばせておいたはずの数々の事物を、このごろはひきだすのが難しくなっている。もう一枚皮をめくれば現れるはずの事物が、プラスティックのような皮に封印されてしまっている。少し日本に向かってみたい。


さて、そんな世界の淵で龍と戯れる日本には、イエスの【危機】を。ピンクフロイドの【狂気】、エマーソン、レイク&パーマーの【恐怖の頭脳改革】に並ぶ傑作。アンコールのように奏でられる【SIBERIAN KHATRU】はまるで龍の踊りのよう。


龍は想像の王国にこそ棲み、地上を見つめる。