『ページと力』(鈴木一誌) 〜 【マンダラ [宇宙からの肉声]】(企画:杉浦康平)

ページと力―手わざ、そしてデジタル・デザイン

ページと力―手わざ、そしてデジタル・デザイン


文字にだって顔がある。


同じ「あ」の文字でも明朝体とゴシックでは姿が違う。同じ明朝体でも「ヒラギノ明朝」(鈴木勉)と光朝体(田中一光)の姿も異なる。文字にはまず「あ」の点画が結ばれる字体があり、さらにそれをどのように表すかの書体があり、個々の文字の字形がある。


グーテンベルグ活版印刷をはじめる前、八世紀頃より修道院の写字室では写字生によって聖書が書かれ、およそ三年をかけて一冊の聖書が写される。写字室では会話は厳禁、コミュニケーションはジェスチャーによって行われていた。ケルトの三大美書と呼ばれる「『ケルズの書』は溜息がでるほどに美しい。この書物は八世紀後半よりアイオナ島で製作がはじまったのだが、数年後にバイキングにより島が襲撃され、修道士たちが書きかけの書物を持って逃げたのがケルズの修道院であった。

文字を読みやすく、また美しくするために様々な書体が考案される。だが、この書体は現在のように機械やコンピュータによって誰もが同じに再現できるものではなく、写字生の技術によって書かれていた。写字生から写字生へ書体が伝えられた。書体は国家が公式書体を持つまでになる。カロリン・ミナスキュール書体(フランク王国)はその例で、これは後のアルファベットの原型になる。

十二世紀になると、修道院の写字室が独立し、写本工房としてはたらきはじめる。これによって一般の人も写本をつくることができるようになる。写本の対象が聖書以外にまでひろまっていく。

一四五五年、ドイツ・マインツのグーテンベルグが鉛鋳造活字による活版印刷により聖書を製作。これが『四十二行聖書』である。まずなによりも「写本」のように美しいこと、そして小さな文字を正確に写すこと、そして大量に製作できること。夢のような技術だった。書物が「本」として社会に流通するはじめの一歩であった。

いまでこそ、「本」はすっかりありふれたものとなっているが、直接語りかけることなく人へ「言葉」をとどけるには長い歴史があった。無数の無名の職人が伝えつづけてきた技術から生れた。グーテンベルグはその象徴と見るのがよい。


本には文字がある。そして文字のなかに言葉がある。文字を配し、図表を配し、頁と頁をリンクし一冊の書物が立ち現れる。この「文字」にこそ鈴木一誌は執着する。これがグラフィック・デザインのはじめの一歩になる。

グラフィック・デザインは、文字をなんらかの面に定着することを基本としたしごとだ。広がりと遠近感をもった空間のなかにある文字を、一点に定着させる。世界には多彩な国があるように、国という字も、立体的な空間のなかにある。厚みのあるものを薄い基底材のうえに置くのだから、そこにはズレがかならず生れる。そのズレこそが視覚的なコミュニケーションの核心である。文字は滲んでいる。空間のなかで、文字は、見る者の動機につれて無数の消失点をもち、その遠近感を変えていく。

そして頁が生れる。

書物にはふたつの秩序が存在している。テクストが連続しているという秩序と、ページが連続しているという秩序である。このふたつは一見おなじことのようだが、実はちがう。ページの連続性に支えられて、テクストの意味内容における大胆な場面転換が演出され、物語のなかの時間の粗密にメリハリがつく。おなじ一ペーがちがう時間をもつ。

言葉と文字と書物はいつも人の社会・文化の中核を担ってきた。だから国家論は書物論でなくてはならない。そろそろそんな書物論を準備しようと思う。


さて、鈴木一誌の「文字」には、杉浦康平企画の【マンダラ [宇宙からの肉声]】を。鈴木一誌はここで杉浦康平とともにデザインの腕をふるっている。真言のお経も眼に見えない声に定着された書物であったのである。


二十年ほどまえから本の体裁・ブックデザインが大きな変貌をとげた。そのきっかけは杉浦康平鈴木一誌戸田ツトムらのグラフィズム、デザイン感覚あふれる誌面・装丁づくりにはじまり、工作舎の「本は暗いおもちゃである」と言い切る造本の冒険があった。本のまんなかに孔の開いた本(『人間人形時代』、稲垣足穂工作舎)や、漆黒のブックコスモス、杉浦康平の渾身の一書(『全宇宙誌』、工作舎)があった。本からポスター、チラシにいたるまで、一時期この「デザイン」を真似る動きが活発であったが、いまでは「本当にデザインされた本」にお目にかかることがとんと少なくなった。その場で消費され捨てられる「食べ物のようなデザイン」の本ばかりが増えてきた。人から人へ伝えられる本が少なくなり、その場で本の生涯を閉じてしまう。文字が人目に触れることなく捨てられていく。これが悲しい。


文字にこそなってしまいたい。そんな誘惑がある。