『美学入門』(中井正一) 〜 【こどものためのサティ】(高橋アキ)

美学入門 (朝日選書 (32))

美学入門 (朝日選書 (32))


一九〇〇年二月二十四日、緒方正清医師の執刀のもと日本最初の帝王切開により男児が誕生する。中井正一その人であった。


中井は京大・西田学派の流れをくみながら独自の美学観を結晶させていく。人であるための「真」「善」「美」の「美」に一刻一刻を対峙させていた。中井の美学は、美術論でも哲学でもない。世間の美学は概ねこのふたつに収斂されてしまうが、中井はその埒外の思考の淵に佇んでいた。

中井が生きた時代は、そのまま機械の時代であった。そして機械をも装っていく美を中井は見つめ続けていた。

建築は住む機械である。そして機械の美しさは、その中にある数学的秩序が、見ゆる音楽として、その均整と秩序を、感覚の中に伝えてくれるのである。それは宇宙の秩序にまで関連をもつところの「数学的作品」なのである。飛行機の美しさは、誰も飾っているのではない。その機能の函数的な数学的な秩序の美しさなのである。この考え方は、シュープレマチズム、無対象性の芸術にまでそれはひろがっていくのである。レジエ、グルーメル、ロージェ、アラモール、モンドリアン、デスブルグ、モホリ・ナギーの系統のものがそれである。その線にそって文学では、技術者の報告文学があらわれ、ピエール・アンプ、ケラーマンの始めたもの、ソヴィエートの一九二〇年代のコーガンのいう「機械のロマンチシズムの時代」としてのクーズニツァの人々は、まことに素直にあず機械の美しさに驚いた文学者の群である。こう鉄と溶鉱炉の火花に見入る若々しい魂なのである。 (『美学入門』)

むろんこれは蒸気機関にはじまる、歯車と蒸気の織りなすファンタジーの世界の事であるが、そんな機械時代の幕開けをリアルタイムに感じ取っていた。その後、機械は電気と電子によって一変する。機械が電気と電子で装われ、機械と機械が、機械と人が結びつき、さらに巨大な機構を造りあげていく。

だが中井の美学は機械美にとどまらなかった。かえってそのなかで日本という美学に眼を向けた。

私たちはこれまで、日本の美を顧みたのでありますが、まず『万葉』の精神におきましては、一心の集中にありまして、こころのなかのかざりや、まざりけが、ほうり落ちていって、やがて、魂の奥底のほんとうの裸の肌でもって、人生のすがたにじかにふれるこころ、を見たのでありました。 (『日本の美』)

中井のことばが染みいる。中井は「魂の奥底のほんとうの裸の肌」をなぞるようにして「美学」の眼を発揮していた。


一九三七年、中井は左翼活動により治安維持法で検挙される。四十年に懲役二年執行猶予二年で刑が確定、以後終戦まで当局の監視下におかれる。そして四十五年に尾道市立図書館の館長に就任、四十八年には国会図書館副館長に就任する。そのなかで中井は「メディア」に目覚めていく。図書館論のなかで「民族の記憶庫としての図書館」に注目し、メディアの概念を「メディウム」から「ミッテル」という流れのなかで理解しようとする。

たとえばレコードは、LPからCDへ、そしてさらに携帯音楽プレーヤーへと変貌をとげている。LPは30センチの樹脂に溝を掘ってレコード針で振動を音に変換し、オーディオセットによって音楽を聴かせる。LPのジャケットは「これは」という「作品」が競われるようになる。CDは約12センチ。面積にしてLPの四分の一以下になり、さらにピットと呼ばれる微細な孔をレーザーで読み取り、その情報を音楽に変換する。LPはアナログ方式(溝)による記録であったが、CDはデジタル方式による記録となった。そして携帯音楽プレーヤーにいたると、CDのような媒体すら影が薄くなる。インターネットよりダウンロードして音楽を形態音楽プレーヤーにしまいこむこととなる。

LPは、その媒体としての存在感が大きい。レコード店に行きLPレコードを買って家路に着くとき、それを持っているだけでどこか文化人にでもなったような錯覚さえあった。だが、CDはバッグに入れてしまえば、外からは見えない。ジャケットも部屋を飾る美術品・絵としては貧弱なものになった。携帯音楽プレーヤーにいたると、CDのような媒体そのものが消え失せてしまう。

この媒体としての存在感が大きいものが「メディウム」、そしてそれが透明化していき「ミッテル」になっていく。このような傾向がメディアにあることを中井は見抜いていた。


このような「眼」が足りない。だから美学も哲学も総じて面白味がない。パッケージ化された食材だけでは、舌のうえに料理は生れない。むなしく味が通りすぎるばかりである。このような「眼」をいま開くものがメタフィジクスではないか、と思う。梶川泰司は「二十一世紀はメタフィジクスの時代ですよ」と言っていた。


さて、中井正一の『美学入門』にはエリック・サティを。高橋アキの【こどものためのサティ】がよい。サティは音の美学をもっていた。「家具の音楽」として音楽を流し、「シャノワール(黒猫)」でピアノを弾いては音楽を育てていた。そんなサティの生涯が中井正一に重なる。

オペラ座とルーヴルは、冷凍室と納骨堂に似ている。

これはエリック・サティの言葉。サティの周りにはいつもことばがめぐっていた。『三つのグノシエンヌ』では楽譜に言葉をあわせて書き連ねていく。「とても艶やかに」「思考の先端から」「舌の上で」「外出せずに」「奥底の優しさをもって」「あまり親密でなく」「くぼみを作るように」「頭を開いて」など。メロディとことばをわけずにいつも融通し、サティは自由に行き来しながら家具を愛でた。

常にこころを虚ろにし、柔らかく流動してやまざるもの、変化し、清新なるもの、あくまで滞ることを嫌い、重さをのがれ、軽く軽く、浅川を流れる水のごとく、あくまで自由に、自在にあきらかなるものを求める日本のこころは、世界の最も新しい芸術的態度に対決して、決して恥ずかしいものではなく、むしろ、世界の芸術に一つのものを加えることであることを、私は深く信じてやみません。(『日本の美』)

中井は一九五二年五月十七日に癌で逝去する。この日は奇しくもエリック・サティの誕生日である。『日本の美』は中井の死後三ヶ月たった八月に出版された。引用はその最後の一節。中井の遺言に聞こえる。


美学に必要なもの。それはなにより食卓であった。