『自然の中に隠された数学』(イアン・スチュアート) 〜 【インファンシア】(エグベルト・ジスモンチ)

自然の中に隠された数学 (サイエンス・マスターズ)

自然の中に隠された数学 (サイエンス・マスターズ)


世界はいつだって美しい。人が見るたび美しい。


人は世界の美しさの秘密を覗こうとする。美しいものと美しくないと感ぜられるもののあいだには、なにか秘密があるはずだ。たとえば法則を見る。

花の花弁の数には、じつに奇妙なパターンが存在する。ほぼすべての花について、花弁の数は3、5、8、13、21、34、55、89という奇妙な数列のいずれかの数の一つだ。たとえば、ユリの花弁のは三枚、キンポウゲは五枚、多くのヒエンソウは八枚、マリゴールドは十三枚、アスターは二一枚、ほとんどのデイジーは三四枚か五五枚、もしくは八九枚である。このような数字は、ほかにはあまり見あたらない。これらの数字には明確なパターンが存在するが、少し頭をひねらなければそのパターンはわからないだろう―いずれの数字も、その前の二つの数字を足した答えになっているのだ。

これはフィボナッチ数列再帰的プログラミングの例題としてもよく使われる。だが、この数列は、人がこころのなかで描いただけでなく、自然のなかに存在している。もちろん「数」は人の発明であるのだが、この「数」で世界を覗くと世界の不思議な姿が見えてくる。

数は数だけであるのではない。数えられるためには、物・事をわけて考えなければならない。そしてわけられた物・事の同じ物・事、異なる物・事をわけなければならない。さらにそれらを並べて数える準備が整う。抽象することで物・事の背後に隠されている何ものかが見えてくる。この何ものかを発見し、表現する。発見はいつも美しい。だから数学者の顔は詩人に似ている。

また、世界を支配しているかのような定数もある。ハッブル定数、光の速度、円周率、黄金数、プランク定数アボガドロ定数ボルツマン定数オイラーの定数、ファイゲンバウム数等々。世界は定数に満ちている。世界は数で出来ているのだろうか。

数を数えはじめると、いったいいつまで数えるのか、いくつまで数があるのかという問題にぶつかる。

一口に無限と言いますが、実際問題として私達は常に有限しか体験することができない。夜空に輝く星の数を人は無数であると言う。しかし、ある天文学者に聞いたところによると、肉眼で見える星の数は高々3000程度に過ぎないのだそうです。だから無数でも無限でも何でもない。これはつまらぬ一例ですが、このように我々が感覚的に経験できるものはいつも有限の世界だけであります。従つて無限といつても、それは一つの状態として―幾らでも大きくなる、限りなく大きくなる、といった一つの状態として理解していたのであります。しかし真の無限は人間の精神のなかにはあります。たとえば自然数全体を考える。これは本当の無限である。カントールは無限そのものを、状態としてではなく、出来上つたものとして取扱つたのです。これは何でもないことのようですが、実は非常に型破りの考へ方でとてもおそろしいことなのです。(『数学の自由性』高木貞治

カントールは無限集合を通じて数学的自由意志にむかう。無限の実在性から世界を紐解いた。ここに数学的自由精神がある。そして世界はますます美しく磨かれていく。


数学は証明が物語を編む。物語の進み方は一通りとは限らない。さまざまな道が世界には準備されている。たとえばこんな問題がある。「SHIP/DOCK定理」と呼ばれるもの。

ある単語(SHIP)を別の単語(DOCK)に変えていくのだが、一度に一文字ずつ変え、いずれも略語や造語でなく、ちゃんと使えるふつうの言葉をつくらねばならない。(…中略…)

ここに一つの解をあげる。


SHIP

SLIP

SLOP

SLOT

SOOT

LOOT

LOOK

LOCK

DOCK


ほかにも多くの解があり、単語数がもっと少ないものもあるだろう。しかし何通りか試してみれば、結局、すべての解に一つの共通項があることに気づくだろう。あいだをつなぐ単語の少なくとも一つには母音が二つあるということだ。

じつは、この問題のなかに「はっきり」と書かれていない法則がある。それは「英単語は必ず母音を含む」ということである。「ちゃんと使えるふつうの言葉」には必ず母音が入っている。これで準備は万端。さっそく問題を解いていただきたい。なに、解き方はご自由に。右回りの道も左回りの道もある。

O−大丈夫だよ。そりゃ、滅茶苦茶に順序を変えるなら、別だがね! あのそれ、幾何学ニ御成リ道(royal road)ハ御座リマセヌという話があるね。あれは唯一筋の細い細い小ミチしかなかった時代のことさ。例の橋は未だ架からずね。所が今では、君―

N−又ドライブ・ウエイですか?

O−覚えがいいな! そのドライブ・ウエイにも、トラック道路、遊覧道路、等々、デモ様御成り道が幾筋も出来ている。ウバ車専用というのもある、例の少年読本の為にね。勿論、燕にも、鴎にも乗ってよい! だからガイドは―なに、誘導のことだが―道さえ取り違えないように気を付けていれば、大丈夫なんだ。(『Newton. Euclid. 幾何読本』高木貞治

詩人だって数学を語りたい。

円や三角が、自然に在るのではなく、その証明の段階に於いて思惟として成立する混沌からの分離的認識に外ならない。況や作家は、われわれの頭上をめぐる天体とは違った、内部の星座を持つものでなければならない。(『龍を描く』吉田一穂)


イアン・スチュアートの数学の語りは格別だ。高木貞治岡潔も格別だ。数学者のこんな語りをこそ愉しみたい。


さて、美しき天体を奏でるイアン・スチュアートにはエグベルト・ジスモンチの【インファンシア】を。無限のギターの天体が地上をすっぽりつつむ。


数に溺れて、数に夢見る。

『天界と地獄』(イマヌエル・スエデンボルグ) 〜 【タブラ・ラサ】(アルヴォ・ペルト)

スウェーデンボルグ 天界と地獄

スウェーデンボルグ 天界と地獄


世界は三という基数でできている。


どうもそう思えてならない。錬金術神秘主義でも三という数は特別な数だった。中沢新一は『バルセロナ、秘数3』で報告する。見事な三角形をしているカタルーニャについての報告である。

「この大地から生まれでるものの産着には、かならずや3という数字のイデアが、こっそりと縫いこんであるだろう。この国の幸運は、3が運んでくる。この国をおそうであろう不幸もまた3がもたらすのだ。ノストラダムスの国からやってきて、ここでアラビアの科学を学びとっていた錬金術師は、そう予言したのです。そして、その予言は見事に的中しました」

中沢新一が「リブラリア・デル・エステ(東方書店)」で聞いた話。主人の話はさらに続く。

カタルーニャは何をやっても、いつも3という数字につきまとわれてきたような気がします。カタルーニャ人のつくったこの国は、自分の領土を拡張しようとして三度大きな戦争をしかけ、地中海とイベリア半島に確固たる勢力をきずきあげてきました。でも、十七世紀を過ぎると、その勢力にもかげりが見えはじめ、それにつづく三世紀は不運と抵抗の時代にたえなければなりませんでした。スペインにたいして、フランスのブルボン王家にたいして、そしてナポレオンの軍隊にたいして、カタルーニャは三度にわたってはげしい抵抗の戦争をおこない、そのたびに手ひどい傷をおったのです。ここには三回も共和国ができかかったことがありました。いや、じっさいにそれはできあがり、そのたびにスペインの力に押しつぶされてきたのです。こんなぐあいに、カタルーニャの運命を決するような事件は、なぜか3という数字につきまとわれているのですよ」

この不思議をどう了解するかによって、人は錬金術師になったり、神秘主義者になったり、占い師になったり、科学者になったりする。


おそらくは世界そのものに三が縫いこまれているわけではなく、人が世界に三を縫いこんでいる。どうやらなにかを認識するとそこに三を縫いこまずにはいられないような性癖が人にはあるようなのだ。

松岡正剛はかつて「概念は対をなしてやってくる」と言ってみせた。「善と悪」、「上と下」、「右と左」など、およそ概念にかかわる一切は対になっているということだ。グレゴリー・ベイトソンは、「情報は差異にはじまる」と言った。ここに三の秘密が隠されている。

たとえば、「善」と「悪」を認識するにはあるふたつの事あるいは物が準備される。そしてそこに生まれる「差異」を一方から見れば「善」に、もう一方から見れば「悪」になる。人はふたつの物あるいは事を並べ、その「差異」に「情報」を発生させ、両側から見た一揃いの「情報の断片」(片割れ)を見る。ふたつの物あるいは事とその間にある情報の三角形、それが人には心地よいらしい。だからこころのなかの世界は、三角形のパッチワークでできている。バックミンスター・フラーにいたっては、この聖なる三角形で宇宙の幾何学を建築してみせた。日本という空間にたっぷり縫いこまれている「間」も、「ここ」から「そこ」を結ぶ三角形の頂点である、というわけだ。


スエデンボルグは十六世紀後半、科学の揺籃期に生まれ、宗教という最先端の知をもって世界を解読し続けた。いまでこそ「科学」というレンズがこの聖なる三角形を歪めてみせてしまうが、スエデンボルグのこころのなかには聖なる三角形がたっぷり踊っていた。

まずは天界を味わっていただきたい。

三つの天界が存在し、これらは相互に全く他から区別されている。[すなわち]最も内なる、または第三の天界と、真中の、または第二の天界と、最低の、または第一の天界が在る。それらは秩序正しく互に他に続き、相互に、人間の最高の部分、または頭、その真中の部分、または身体、最低の部分、または足のような、または家の上の階、真中の階、最低の階のような関係におかれている。主から発出して、下降している神的なものもまたこうした秩序をもっている。ここから、秩序の必然性から、天界は三重のものとなっている。

そして霊たちの世界。

霊たちの世界は天界ではなく、また地獄でもない、それはその二つのものの間の中間の場所または状態である。なぜならそれは人間が死後先づ入って行く場所であり、そこから人間は、その定められた時の後で、世で送ったその生活に従って、天界へ挙げられるか、または地獄へ投げこまれるかするからである。

そして死後の人間の最初の状態。

人間は、天界か地獄か、その何れかに入る前に死後通って行く三つの状態があり、最初の状態は外部のそれであり、第二は内部のそれであり、第三は準備のそれである。

そしてスエデンボルグはこれらの均衡のなかに人間の自由があるとした。


これは科学的な眼で読み取ってしまえば箸にも棒にも引っ掛からぬものかも知れない。だがひとのこころの奥底では、そこに科学があろうがなかろうが、これらの三角形がはたらき続けている。むしろ科学のほうが遅れてやってきた。科学的辻褄はおよそあわないにせよ、人はこころのなかで三角形を育てている。

スエデンボルグを古い宗教家として片付けてしまうのはあたらない。スエデンボルグほどに、宗教の眼をもちながら自分のこころの模様を鮮やかに描きだした者があるだろうか。

おそらくは世界中の民話、神話、物語をあたってみるとこのような三角形がたちまち踊りだすはずである。人がかかわるところには、いつも三角形が縫いこまれている。これはカタルーニャだけの事情ではない。カタルーニャはその地が三角形だったために、三角形が見えややすくなっていただけである。


さて、どこまでもこころのなかに昇華していくスエデンボルグには、アルヴォ・ペルトの【タブラ・ラサ】を。このアルバムのなかの【フラトレス】は、バイオリンがギドン・クレーメル、ピアノがキース・ジャレット。六拍子のテーマがザルツブルグの変奏曲版では九回反復され、その反復のたびに短三度あるいは長三度低められていく。三角形の音楽だ。


三角形の月がのぼるころ、ワルツで夜を明かしませんか。

『マインドストーム』(シーモア・パパート)〜 【イマジン】(ジョン・レノン)

マインドストーム―子供、コンピューター、そして強力なアイデア

マインドストーム―子供、コンピューター、そして強力なアイデア


鳥は不思議である。


空を自由に飛びまわり、木の枝に止まり、ぼくたちよりも饒舌な囀りを聞かせる。メシアンは森に入って森に充満する鳥の歌声を採譜したものだった。飛ぶ姿の美しさと黄金の歌声は、そのまま天の使いを想像させてしまう。中国の皇帝は山の頂きで鳥の声に耳を澄まし、自分の即位が天の意にかなったものであるかどうかを判断する。

飛ぶ鳥の姿はやがて人に飛行機を作らせる。はじめは腕に羽根をつけて一所懸命に羽ばたくというものであったが、動かぬ羽根をひろげジェットエンジンにより落ちる理由を置き去りにしながら飛ぶまでになった。もちろん優雅に羽ばたくことはできない。

別に空を飛んで物資を輸送するために飛行機をつくったのではなかった。鳥にあこがれ、天にあこがれ、兎にも角にも空を飛びたかった。地上から数センチ浮き上がっただけでも、それは天にも昇る気持ちだったのである。猿の惑星でも、どこからかやってきた人間がつくった紙ヒコーキをみて猿たちは目を瞠っていた。

今日多くの学校では、「コンピュータによる学習」というと、コンピュータに子供を教えさせるということを意味する。コンピュータが子供をプログラムするのに使われていると言ってもよい。私の描く世界では、子供がコンピュータをプログラムし、そうする家庭で、最も進んだ協力な科学技術の産物を制御するという実感を得るとともに、科学、数学そして知性のモデルを作る学問などからくる深遠な理念と密接な関係を確立するのである。

もちろん、鳥が飛翔できることには科学的な根拠がある。だが、鳥は科学を学んで空を飛べるようになったわけではない。言葉だって言語学を学んで話せるようになるわけではない。人が学ぶというのはいったいどのようなことなのか。

パパートは子供のころから歯車に極度の関心を示していた。

やがて私は、頭の中で歯車を回転させて、一連の原因と結果を生み出すこともできるようになった。「これがこっちに回るからあれはあっちに回って、だから……」差動式歯車のようなものは特に気に入っていた。これは、二つの車輪にかかる抵抗の違いによって伝導軸の動きが実に多様に車輪へ分配されるため、単純で直接的な原因作用に従わないところが、格別おもしろく思われたのである。組織というものは、固定的、決定的ではなくても充分法則にかない、完全に理解し得るものだということを発見した時の興奮した気持は今も鮮やかに記憶している。

シーモア・パパートは一九二八年南アフリカ生れの数学者、三十歳から五年間ジュネーブの発生認識論センターでピアジェと共同研究する。このとき「子供は、自己の知識構造の積極的な建設者である」というピアジェの見方に触発され、六十年代はじめにMITでマーヴィン・ミンスキーとAI研究のなかで子供の知識獲得の研究を進め、そのなかで「タートル・グラフィックス」として知られるLEGOを開発する。これは現在はLEGO社のMindstormsにいたる。また、アラン・ケイとも共同研究を進め、その成果がSqueakとなって結実する。


子供のこころのなかはいつも春の嵐が吹いている。連綿と続く風に遊び、世界を発見したり、世界に入りこんだりする。パパートのこころのなかにはいつも歯車があった。歯車で世界を考えていた。世界のなかに歯車の軋む音を聞き、歯車の具合を直しながら美しい世界を組み立てていった。だから、そんな世界に遊んだり、世界を測ったり、世界を覗いたりする道具があれば、こころのなかに豊かな世界を建築していけるはず。パパートはそう考えた。


ディスプレイにタートル(かめ)と呼ばれる三角形があらわれる。三角形の頂点が前。前に100進めと指示すれば100進み、50戻れと指示すれば50戻る。右に90度回転と指示すれば右に90度回転する。そしてこのタートルはペンを持っていて、ペンを下ろせと指示すればペンを下ろし、ペンを上げろと指示すればペンをあげる。ペンを下ろしているあいだ、タートルを移動させればその軌跡が描かれるというわけだ。

これはなんでもないことなのだが、子供はプログラムというものによってタートルを動かせることを学び、動かし方(プログラム)を学び、さらに動かすことによって世界にひそむ様々な顔を発見する。概念を見つけ、概念をつかって世界に関わり、世界にかかわることで世界を学ぶ。ここに学びの原型がある。

このように学んでいくためには、こころのなかの世界を建築していくための素材が必要となる。ピアジェはこの素材を準備してやればこどもは自分で学んでいく、と考えた。これが発生認識学の基礎になる。さらにパパートはこの素材こそが文化に準備されている、と考えた。文化と学びは切り離すことができない。


人ななぜ遊ぶのか。なぜ異常とも思えるほどに熱狂してまで遊ぶのか。なぜこどもの時分に多様な遊びにかかわるのか。ここにも学びと同じ人の癖がひそんでいる。


さて、こどもがそのまま巨きくなったようなパパートには、永遠の少年ジョン・レノンの【イマジン】を。こころのカタチが見えてくる。


「遊びをせんとや生れけむ」という一句に世界の一切がうたわれている。

『本の未来はどうなるか』(歌田明弘) 〜 【教育】(東京事変)


本の本来はどこに向かうのか。


本の未来をさぐる試みが急増している。もちろんウェブの存在が欠かせない。ウェブでは画面に表示された言葉から他のページにジャンプして「本」のなかをたどることができる。この繋がりが「リンク」である。ヴァネヴァー・ブッシュはmemexを構想する。

個人で使う未来のツールについて考えてみよう。そのツールは、機械化された個人用のファイルや書庫のようなものであろう。このツールには名前が必要だが、とりあえずmemexと呼ぶことにする。memexは、自分の本や記録、情報交換のやりとりなどを保存しておける装置で、機械化されているためにきわめて速く、かつ柔軟に参照できるだろう。これは人の記憶を補助する大規模で詳細な装置である。(『As We May Think』ブッシュ、1945)

ブッシュが考えていたのは記憶の拡張である。機械化された記憶装置では、カメラで撮影された書類や手紙や本などがマイクロフィルムにおさめられ、人が操作して記憶をたどる。記憶をたどれるように、ふたつの表示装置を用意して記憶の違いを確認したり、記憶から記憶への移動を記録し、本文と注釈を結びつけたりできる装置を構想した。

このなかで重要な意味を持つのが索引づくりである。同じ記憶の断片に対し、様々な索引をつくることで、様々な知識を引き出したり、様々な記憶のナビゲーションができるようにする。記憶と記憶が結びついて意味をもたらす。この本では言葉こそまだ与えられていなかったが、「ハイパーテキスト」「ハイパーメディア」の概念が書きこまれている。

エッセイとして書かれたこの本が出版されたのは一九四五年七月、広島に原爆が投下される一ヶ月前だった。ブッシュはマンハッタン計画の最高責任者のひとりだった。

一九六五年、ハーバード大学の大学院生だったテッド・ネルソンが、"A File Structure for the Complex, the Changing, and the Indeterminate."という論文のなかで「Hypertext(ハイパーテキスト)」という語を造語する。この年は、人類初の宇宙遊泳が行われ、DECがPDP-8を発売し、ザデーによりファジー理論が提唱され、NHKがハイビジョンの研究を開始した年だった。ローリング・ストーンズが『サティスファクション』を発表し、サイモンとガーファンクルが『サウンド・オブ・サイレンス』のハーモニーを聴かせ、ジュリー・アンドリュースが『サウンド・オブ・ミュージック』で歌声を聞かせたのもこの年である。


現在、インターネットといえば「メール」(コミュニケーション)と「ウエブ」(情報の表示)と言えるが、この「ウェブ」は、一九八九年のティム・バーナーズ・リーらによるWWWプロジェクトにはじまる。はじめはテキストと限られた画像の表示とリンクだけだったが、いまでは複雑な構造の画面を構成したり、動画や音声にいたるまで様々なメディアを同時に扱ったりすることができるまでになっている。リンクや画像などはタグがつけられひとつのテキストのなかに埋めこまれた。

このタグづけされたテキストを表示し、リンクされた情報の断片をたどっていくのがブラウザである。一九九三年二月、NCSA(イリノイ大学国立スーパーコンピュータ応用センター)の大学院生であったマーク・アンドリーセンを中心とするグループによって開発されたモザイク(Mosaic)というXウィンドウ用のブラウザが、いまのブラウザの原型となる。

本の世界においても、書き手は「引用」という形で他人のテキストを利用している。テキストが著者に属すると同時に世界に属するものであるということを、われわれは特別に意識せずともすでに理解している。

さらに、索引というのは、ハイパーテキスト的な読みを許容し、いわば、デジタル時代の誕生を準備していたものだったことに気づく。索引があることによって、われわれは冒頭から読んでいくという本の読み方から解放されているのだ。自分の関心にしたがって、本というまとまりを超えて、多くのテキストを横断的に読むことが可能となっている。こうした読み方は、「リンク」にしたがってテキストを読んでいくハイパーテキスト的な読み方にほかならない。索引は、グーテンベルク文明のなかで育ちながら、「グーテンベルク以後」を示している。

情報には構造と流れがある。本は、情報が展開していく流れとそれを俯瞰したり、情報と情報を結びつける索引や注釈を準備する。これが電子の世界に置き換えられていくとウェブの形になっていくが、誰もがそのなかで「本」の姿をこころにとめておいたはずである。

世界は断片の集積として描かれる。

ウェブは、本を電子化(デジタル化)したばかりでなく、本をネットワークに投げだした。共有される電子空間のなかで同じ「本」を無数の人が同時に見るという事態がはじまった。もはや本はネットワークに溶けだしているようだ。ここまでの流れを見ていると、まるで「本」の未来はネットワークのなかにこそあるように思えてしまうが、事態はそんなに単純ではない。

ウェブがまるで「本」のように読まれることで変わってしまったことがある。「出版/Publishing」である。本を出版するためには、社会的手続きが必要であり、誰もが本を出版できるというものではなかった。だが、ウェブは社会的手続きを抜きにして個人的手続きだけで公開/出版ができてしまう。Blogger.comでは、"Push-Button Publishing"と呼んでいる。

本においては出版と社会化が等価であったのだが、ウェブにおいてはこの等号は成立しない。出版・社会化されて本となって社会を流通していたはずなのだが、ウェブでは出版(公開)されてもそれが社会化されたとはいえない。著作権が必要とされる意味までもが微妙に捩れてしまう。残念ながら、この部分はまだほとんど議論がされていない。


さて、本の本来には、東京事変の【教育】を。椎名林檎の言葉の海に溺れていく現実。

するとこうだ

「何かご不満?ディスプレイは頗る綺麗よ。」

此処まで来て醒める萎える

意図は冗談 稚児の遊戯

縷縷縷縷る超現実主義

不知顔で高飛びしろ!


でも机上に高がアイコン二つ三つ未々嘘

色違いのラベル順に並べ替えてばれぬ本体

本は、人にとってもっとも古いメディアであり、言葉に寄り添いながらいつも人とともに歩んできた。本の未来はウェブではない。本の本来をもう一度考える時期が到来している。
人の情報とのつきあい方、人のことばへの寄り添い方を考えたい。


それが本懐だ。

『桃源郷の機械学』(武田雅哉) 〜 【エレクトリック・カフェ】(クラフトワーク)

桃源郷の機械学 (学研M文庫)

桃源郷の機械学 (学研M文庫)


世界はただ機械である。


人のこころによって生みだされた「機械」によって組み立てられた世界である。歯車で構成されている、というわけではない。人のこころで描かれた直線や、流儀や按配で世界が組み立てられ、そんな定規ではかって世界を認識する。

たとえば中国の国土を見ていると、こころのなかに描いている風景がそのまま外にはみだしているような気がしてならない。遠くの山々は好むものを選び、その風景に抱かれる場所に都をおく。都もどのように置いてもよいわけではない。風水という置くためのルールがある。さらに庭には物語に登場する場所を配置し、人がそのまま立体的な物語のなかへさえ入りこめるようにする。

これはすでに自然ではない。人のこころのルールによって生みだされた人工的な空間である。人の手の触れるところはおよそ自然ではありえない。それが「中国らしさ」を生み、「日本らしさ」を生み、「アメリカ臭さ」や「ドイツっぽさ」を生む。もちろん気候的風土の差はあるのだが、そこに「中国らしさ」を感じるのは人工的風土の差である。

中国が機械的にすぎるのではない。およそどの国でも、どこの場所でも人がそこにいるかぎり事態は同じである。だからこそ、世界中の都市があの「近代都市」のデザインを実現しようとした。中国はそのあたりの事情が見えやすい国である。あまりに大きい国土とあまりに大きな人口が、そんなこころにひそむ機械の夢を拡大して見せてくれる。

さて、このあたりに、実は、中国人の園林思想の決定的な性格が見えかくれしているのではないだろうか。すなわち、月洞門をくぐってルナパークに遊ぶにせよ、月形の窓を額縁に見立てるにせよ、そしてこの「三潭印月」にせよ、かれらはすでに、本物の月など見てはいないのではないかということだ。

庭のなかに「山」と見立てて土を盛る(築山、仮山)も同じである。中国の人工振りは徹底している。秦の始皇帝が即位のときに泰山において泰山封禅をして天の声を聞く。この秘儀のために始皇帝を駕籠で担いで山頂まで運ぶために階段がつくられた。日本ではこの一事をしてもぎょっとしてしまう。

秦の始皇帝が、金毘羅さんの会談をのぼるときのような轎(かご)にヒョイと乗っかって泰山をのぼったとは、もちろんいいすぎであろう。始皇帝の乗りものであるから、立派な車であったにちがいない。それでは、始皇帝はなにゆえに車に乗ってわざわざ一五二四メートルの泰山の頂きまでのぼったのか。

司馬遷は『史記』―「封禅書」の冒頭においてこう述べている。古には、天命を受けた帝王は必ず泰山に出かけて封禅の儀式をした。自分の即位が天命にかなっているかどうかを北斗七星や日月五星の運行を観測して確かめ、さまざまな祭祀をしてから泰山に行って天地山川を祀った。しかし、世のなかが衰えると封禅の儀式もすたれ、その詳細もわからなくなってしまったのである。(『龍の住むランドスケープ中野美代子

見えない形で風土を加工することもある。富士山が見える場所には「富士塚」という具合に、その場所の見立て・癖や縁起・由緒を名前にもちこみ、その名前をその場所に配する。これだけでその場所はこころのなかに仕舞われる場所に転ずる。

人ほど不自然なものはない。いつも自然ではいられないからこそ、人の「かたち」が生まれる。この「人工」という世界、ただちに自然と衝突するものではない。自然と人、自然と自然、人と人の折り合いをつける回路さえもつくってしまう。これはたくみな自然の戦略であるのかも知れない。人は人であるかぎり自然にはなれない。

あまりに、「近代=機械=人工」という等式になれすぎている。そして「それ」と自然を対置させようとする。すると人の居場所そのものが消去されてしまう。これが近代の迂闊である。人工とは自然の否定ではない。自然に向かう努力である。


さて、機械仕掛けの桃源郷にはクラフトワークの【エレクトリック・カフェ】をかけたい。人の本来の不自然さ、人工としての人を音楽からヴィジュアルからスタイルまで徹底して見せた。


不自然な自然であるからこそ、自然が芽生える。

『日記・花粉』(ノヴァーリス) 〜 【レクイエム】(フォーレ、指揮:ミッシェル・コルボ)

日記・花粉 (古典文庫 35)

日記・花粉 (古典文庫 35)


日記はいつも、思い出に変わるひととき前の出来事を人にとどめる。


はじめから他人に読まれることを前提としたものでもなかった。もっぱらは自分との対話が人に日記をつけさせた。打ち寄せることばを記録するはじめの姿がここにある。だからその人の細やかな心情がさしはさまれたり、いま考えつつあることが未熟のまま放りだされたりする。やがて文学としても日記文学がやってくるが、それは日記のスタイルを利用した文学であり、机の引出しにしまわれる日記とは違う。

いまは、ことばを記録することもたいそう簡単になった。ことばを記録するにはまず紙を手に入れ、インクを手に入れ、ペンを手に入れなければならなかった。いまでこそいつどこででも手に入れられようが、これだけのことにも汗をかかなければならなかった。

インターネットがこれだけ普及しいつどこででもインターネットにアクセスできるようになると、携帯電話から「日記」をアップロードし、日記サイトで公開してお互いに覗きあい、コメントをつけあいながらコミュニケーションできる。「日記」といっても人が見ることを前提とし、果てしのないお喋りのようなことばが蓄えられていく。

ウェブが利用されはじめられたころは、コミュニケーションは実感できなかった。はじめてホームページをつくるとき、何を書いてよいか迷いながらとりあえず自分の愛猫の写真や自分の趣味を書き、自分のメールアドレスを添えてアップロードする。だが五分たっても一時間たっても一日たっても一週間たっても世界は変わらない。まるで自分のページなどインターネットに存在しないかのように、インターネットは黙りこくっている。何か自分が取り残されているような孤独感が襲ってくる。ここにいったい何を書いたらよいのか。

携帯電話がインターネットと接続されてから、メールもずいぶんと変わった。PCなどからのメールであると、いつどこからでもメールが打てるわけではない。仕事の連絡などはそれで十分だった。ところが携帯電話からメールが打てるようになると、「いつどこからでもメール」が実現する。すると少し速度を落としたお喋りも実現してしまう。

インターネットが一般で利用されはじめたのが一九九五年ごろ。この十年間で社会のことばの様がたいそう変わっている。おそらくは社会・文化の持つ物語空間も変わっている。


そんな気持ちから、文学としてではない「日記」に一度目をとめておきたい。

四月二十三日(三三日)


きょうはゾフィーのことをいくども思った。朝は、なにもする気になれなかった―正午ごろ、ややましになった。午後はまた朝とおなじであった―気分がほんとうに明るくならなかった―いつもより感情にみちていたが。けれどもcon amore(愛情をもって)思い出を書いた。夕方ぼくがユスト一家に出した古い手紙を読ませてもらった。夜おそく、あかるい気分になった。しかし、からだの調子はすぐれなかった。けれども、きょうは総じて多くのよいことを思索した。朝、大尉(ゾフィーの養父ロッケンティーン大尉のこと)に手紙を書き、また、グリューニンゲンのカロリーネ(ゾフィーの姉)に誕生日のお祝いの手紙を書いた。

ノヴァーリスは、一七七二年、ドイツ連邦共和国に生れる。このときハプスブルク朝。本名はハインリヒ=フォン=ハルデルベルク、大学では主に法律を学び、シュレーゲルと親交を結ぶ。卒業後はフィヒテに向かう。ドイツ初期ロマン派の詩人として知られる。

一七九四年、ノヴァーリスは、十二歳の少女ゾフィーに出会う。翌年に婚約するが、一七九六年にゾフィーは永眠。上記のノヴァーリスの日記は、一七九六年に書かれたもの。(三三日)とあるのは、ゾフィーの死後の日々のカウント。

五月五日(四八日)


夜、ゾフィーの姿が、いきいきと眼の前にあらわれた―ぼくとならんで長椅子にかけているプロフィール―みどりのえり巻きをしている。―いろんな特徴的な場景における、さまざまな服装をしたかの女の姿が、思いのままにこころに浮んでくる。夕方ずっとほんとうにこころからかの女のことを思った。きょうは、すべてのことに満足してよいだけのことがあった。神は、これまで愛情ぶかくぼくを導いてくださった―これからもきっとそうしてくださるであろう。

このころゲーテの『ヴィルヘルム・マイスター』を丹念に読み、やがてそれと対をなすように『青い花』が書かれることとなる。

五月十四・十五日(五七・五八日)


夜、みなは早く床についた。ぼくは、なおマンデルスロー夫人とふたりきりで、ゾフィーのこと、ぼく自身のことを話しあった。この二日間、例の決心(自殺)のことがしばしば口の出た。母や父のことや方法如何の問題が、まだ悩みの種である。ゾフィーのことはしばしば思った。しかしあいかわらず軽はずみな考えがぬぐいきれない。

「決心」のことはすでに四月十九日(三二日)の日記に出てきていた。

五月十七・十八日(六〇・六一日)


ぼくは、ますますかの女のために生きなければならぬ―ぼくは、かの女のためにのみ存在しているのだ―自分のためでも、ほかのだれかのためでもない。あらゆる瞬間にかの女に値しているような生き方をしてみたい。―ぼくの一番の課題は―一切をかの女のイデーに関係させることでなければならぬ。

人間は、死後には自分の現存在への思い出によって理念(イデー)のなかにのみ生きつづけ、作用しつづけるものである。いまのところ、この世における例の活動手段は、これよりほかにはない。それゆえ、死者を思うことは生者の義務である。(『花粉』)

それでもノヴァーリスは「決心」を実行しなかった。だが一八〇一年に肺疾患で永眠する。二十九歳であった。こんなノヴァーリスの姿が宮沢賢治と重なる。このゾフィーの霊と結びついた世界がどこまでも透明なことばに結晶し、『青い花』になる。『青い花』はノヴァーリスの死によって未完に終ったが、ノヴァーリスはこの一書のために生ききったといってもよい。『青い花』を生む種がこの一七九六年の日記にある。

こんな「ことば」を日記は運んでくれる。


いま、インターネットのなかで生れつつあることばが、これからどのような世界を結んでいくかはまだ見当には早いだろうが、生の断片として飛びかうことばに編集的空間・器が必要になることは間違いないだろう。


さて、ノヴァーリスにはフォーレの【レクイエム】(ミッシェル・コルボ指揮)を捧げたい。透明になって昇っていくノヴァーリスを包みこむような一刻を。


そしてとびきりの一言を。

すべての愛する対象は、それぞれ天国の中心点である。(『花粉』)

『山猫理髪店』(別役実) 〜 【私は月には行かないだろう】(小室等)

山猫理髪店―別役実童話集

山猫理髪店―別役実童話集


ことばのなかに思わず空間を感じてしまう。


他愛のないことばのひとつひとつが連なっていくと、お洒落なバーで佇む老人を思い浮かべたり、荒れ狂う海のなかで帆船のマストにしがみついている船員を思い浮かべたりもする。実際に目撃しているわけではないのだが、そこに空間まるごと、光景がひろがる。

ことばは、こんな空間を生みだすためのハンドルになる。

広い原っぱの真中に、今にも風に吹きとばされそうな灰色の建物があって、それが<アンドロメダ活版印刷所>でした。かたわらを流れる小川のほとりに、大きな泥柳の木が一本立っているだけで、あとは見わたすかぎりのすすきです。

遠く街から眺めると、月の夜など建物だけが青白く光って、それはまるで木の下にたたずむ淋しい幽霊のように見えました。(『アンドロメダ活版印刷所』)

これだけで光景がひろがってくる。別役実が生みだす空間は、感情を殺ぎ落とした抒情が静かに転がる。まるでキリコが歌いだしてるようだ。そして飛行船が登場する。

<アンドロメダ活版印刷所>では、月のない真夜中、イーハトーブの街から飛んできた小さな白い飛行船によって注文を受け、仕上がるとまたその飛行船でイーハトーブに送り届けられていたのですが、街の人々は誰も、そのことを知らないのでした。

「街」「飛行船」は別役実のアイコンになる。他には「電信柱」「コウモリ傘」「サーカス」あたり。別役実の空間の道具立てが揃う。【街と飛行船】はフォークソングがお祭りさわぎだったころ、小室等が歌ってた。【雨が空から降れば】も別役実小室等の作品。

白鳥座M16の悲しみは、

直角三角形ABCの、

頂点Aを通り、

アインシュタイン的ゆがみを修正しながら、

底辺BCを真二つに割る……。

これがアンドロメダ活版印刷所で印刷している詩篇。なぜこのようなものを印刷しているのか、なぜ誰も読んでいないのか、印刷所の人にはわからない。詩が新しすぎるから誰も読んでいないのか、それとも革命軍の暗号文書なのか。この「仕掛け」がさらに空間をひろげていく。この謎解きはぜひ本を読んでいただきたい。


やはり、別役実には小室等の【私は月には行かないだろう】を。日本がまだ成長に沸いていた時代、静かに時代を見つめていたアルバム。ただ、そのままであった。


ことばはいつも冒険したい。